2017年5月19日金曜日

『吉田知子選集Ⅰ 脳天壊了』

視界が狭く、悪く、薄暗い。何か、異様なものがそこには明らかにあるのだけれど、それがよく見えない。粗く、ぼやけていて、それがどんなものかを確認する事が出来ない。不鮮明。断片的。突然飛ぶ。ぶっつりと切れる。集めても中々繋がらず、全ては見えず、ただ唯一確かであるその気配を暗がりで感じ続ける怖さ…。
あんなにも狭く、粗く、薄暗く、ぼやけた視界の中、ひっそりと潜むように棲息する語り手達もまた不気味である事。どこか不気味。捉え難く、それもまたぼやけた不気味さ。他にどこにも行けず、逃げ場もなく、行き詰まったような、嫌な不気味さ…。視界不良は語り手のもの。その狭さも、薄暗さも、彼等が見ている世界そのもの。なんとも恐ろしい所に入り込んで来てしまったと思う。皆、自らの、或いは周囲の異常を明らかにする事もなく、けれど明らかに異常であるまま、不快な余韻を残し、静かにいなくなって行く。



脳天壊了―吉田知子選集〈1〉
吉田 知子
景文館書店
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2017年5月15日月曜日

多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』

あなたと呼ばれた瞬間、自分はまた連れて行かれてしまった。いつも自分の場所ではない場所に。再び、何度でも自分は旅をする。今回も沢山の出会いが。今回は、元々の自分の場所ではない場所にいる人達との。移り住み、流れ着き。馴染み、溶け込み。適応し、適応させ、元々の自分の場所ではないそこで、生きている人達との。多くの出会いが。
自分にとってはずっと、自分の場所ではない場所。この先もずっと、自分の場所にはならない場所。旅の途中しばしば、自分は自分の居所を見失う。変に浮き足立ってしまったり、むず痒いような居心地の悪さに、幾度となく見舞われる。違和感も気がかりも、彼等のそこかしこにあり、けれどそのどれもが不用意に触れるべきものではない気がして。そのどれもが沼のように深く、自分の手には負えないものである気がして。
決まりの悪いを何度もする。居心地の悪さはしぶとくつきまとう。恐ろしくて楽しい旅が、それ故に忘れ難いものとなる程に、何度も、しぶとく。



アメリカ―非道の大陸
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多和田 葉子
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2017年5月11日木曜日

森茉莉『幸福はただ私の部屋の中だけに』

主のいない夢の部屋は、不在のその主の内で美しさを増し、この上なく甘やかに、蠱惑的に存在し続ける…自身の愛するものの中で、特に今はもう存在しないものの魅力を語る時の森茉莉は凄い。
言葉にする事で夢を本物にする、と言った風であり。厚く、濃艶な靄で包み、繋ぎ目なく夢を本物にしてしまう、と言った風。何もかもを自身の美の世界に相応しい、本物に。森茉莉の美の世界は言葉によって完成する。
一瞬で飛ぶ。目の前の現実が。読めば一瞬で夢に迷い込む。それもとびきり妖しくて甘美な夢に。読めば一瞬で幸福に至る。それも際限のない、どこまでも豊かな幸福に。快い気怠さ。包まれ、満たされ、重く、緩やかに、蕩けてしまう。夢心地のまま。喜びに在るまま。
けれど今回は「夏と私」や「真直ぐの道」の異質さが印象深い。その靄、夢や思いをくるむ靄の薄さ、儚さ…靄がくるむ思い自体の、苦しみであれば深刻さが、或いは幸福であれば綺麗さが、淡く浮き出てしまう程に、靄が薄く、儚い事。また、靄より浮き出た思いの方…苦しみや幸福が、深刻であり、或いは綺麗であり、驚く程静かなものであった事が、とても寂しく、哀しい事であるように感じられ、妙に印象深い。


幸福はただ私の部屋の中だけに (ちくま文庫)
森 茉莉
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2017年4月30日日曜日

松浦理英子『優しい去勢のために』

本人が言う所の〈性器結合中心的性愛観を突き崩そうという情熱〉がやはり何よりの魅力。それは官能、快楽と言った方面への鋭敏さや貪欲さより生まれたものであるように思う。官能に対し、快楽に対し、鋭敏であり、貪欲であるが故に、松浦理英子は超えて行く。性器結合と言う形を。より強く、より深遠な快楽の在り処を求め。性器結合では辿り着けぬ領域を目指し、松浦理英子は超えて行く。官能に対し、快楽に対し、探求者の如く真摯であるが故に。逃げる事なく、避ける事なく、模索し続ける。時に冷や冷やとしてしまう程、どこまでも生真面目に。何と清々しく高潔な。
しかし若い。全然逃げないし、避けないし、やり過ごさない。とりあえず挑む。挑み続ける。全然こなれていないと言うか、巧くはないように思う。けれど凄くいい。その頑なさ。その緊張感。官能に対し、快楽に対し、兎に角生真面目で在り続ける。よりよいやり方を、在り方を、兎に角生真面目に模索し続ける。その偏執狂の如き情熱。凄く好きだ。性器結合中心的性愛観からの脱却を目指す最たる理由が、性器結合的な官能や快楽を超えた、より濃く、より豊かな官能や快楽に辿り着く為と言う、諸々超越したものである痛快さと共に、逃げず譲らぬ松浦理英子をこそ自分は何よりも愛する。


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2017年4月23日日曜日

多和田葉子『雲をつかむ話』

一つを掴み切る事が出来ない。掴もうとすれば消える。ちぎれる。ばらばらにわかれる。途切れる。飛散する。言葉から言葉へ。思ってもみない方向に飛ぶ。迂回する。大きく曲がる。思っていた所には辿り着かない。
 漠然とした関心。普通ではないと言う事に対する。逸脱した事をするものに対する。逸脱した事をするものへの処遇に対する。どうしても到達出来ないと言う感覚。言葉に。漠然としたその心地に。物それ自体はここに確かにあるのだけれど。馴染む事が出来ないと言う感覚。あてはめる事が出来ないと言う感覚。掴みあぐねたまま危うげに彷徨う。
 何と鋭敏な。何と七面倒な。何とスレスレな。多和田葉子を読むたび世界が広がって行く…と言うより、この世界が注視すべきものばかりである事を知る。と言うより、注視すべきものばかりでキリがない事を思い知る。物語から出てまた物語へ。



雲をつかむ話
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多和田 葉子
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2017年4月22日土曜日

村田喜代子『鯉浄土』

生きると言う事の凄み。生きていれば生きているだけごちゃごちゃと溜まり、複雑さを増し、乱雑さを増し、手が付けられなくなって行く為に。決して綺麗なままでは終われぬ生と言うものの凄み。死ぬと言う事の凄み。実感する。恐れ、感服し、降参する。
ごちゃごちゃと溜まり、驚く程複雑に出来上がった人間の心の、その手の付けようのなさを思い知る度。或いは身体の不可思議さ…動き、脈打ち、循環し、変化する人間の身体の不可思議さを目の当たりにする事で。時に持ち主の手には負えぬ変わり方や動きをする身体と言うものの不可思議さに気付く事で。
称揚する訳でもなく、貶める訳でもなく、村田喜代子はいつも、ただ人の生き死にが果てしなく不可思議であり、雑多である事を教えてくれる。そうやって村田喜代子はいつも、人の生き死にまつわる甘っちょろくて生温くて随分と都合のよい幻想の数々を気持ちよく剥がしてくれる。村田喜代子によって剥がされた後の生き死にの姿の方が自分はよっぽど好きだ。おっかなくても図太くても不気味でも不恰好でも不都合でも、自分はよっぽど好きだ。

 抜きん出てごちゃついていて、かつ自身の内部のその雑多さなど意にも介さず、ごちゃついた自身のまま生きて行ける人間が自分は怖い。村田喜代子の小説にも沢山いる。それがいい怖さである時も、よくない怖さである時もあるのだけれど。兎に角怖い。どちらの場合でも結局自分は敵わないと思う。


鯉浄土
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2017年4月13日木曜日

金井美恵子『昔のミセス』

これ、そのまま金井美恵子の世界じゃんか…!金井美恵子を読むと言う至福によって立ち上ってくる世界じゃんか…!と密かに興奮。着る物にせよ装飾品にせよ道具にせよ人にせよ味にせよ色にせよ。自分にとってはまったく身近でないもの…身の回りにも、記憶の中にさえないようなものが多く。それこそ金井美恵子を読む事でようやく知り得たようなものばかりである為。詰まる所それは、かつて金井美恵子の言葉を読む事で感じ、その匂いや手触りを飽きる事なく貪り続けた覚えのあるものが沢山、と言う最高の状況。
あの繊細さも、あの綺麗さも、あの甘さも、あの濃さも、あの豊かさも…滑らかに広がり、美しい布地の、あの柔らかさも…触れた瞬間、目にした瞬間、口にした瞬間の、快さも、不快さも…かつて金井美恵子の本の中で体験し、執拗に咀嚼し、反芻し、己の愉悦として来たもの達が沢山…!!と言う最高の状況。


昔のミセス
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